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この仮説、明日には証明されるかもしれません。。。。
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経済成長は○○パーセントとか、給与が○○パーセント上がった…といった考え方は、改められるべきっだと思う。
もっと違う計測方法や比較単位が追究されるべきだ。

例えば、同じ5%でも、10万円での5千円と、20万円での1万円では、それに対応する側の反応は同じとは言えない。
逆に、10万円に対する5千円と、11万円に対する5千5百円に、大きな違いを実感できない
それを単純一律に○%と統一したのでは、本当の意味を見逃すのではないか。


ただ、もっとよい比較単位がなかなか無いように思う。
たとえば、偏差値のような計算方法を、経済や好況不況の目安に転用できればと思うが。

今現在、言えるのは、パーセンテージによる比較方法ではダメだと断言できる。
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昨今、景気向上を狙って賃上げ依頼が持ち上がっている。


これについて、仮説をしたい。


 


賃上げは、不況を招くのではないだろうか。


 


 


賃上げ、つまり給料の上昇とは何だろうか。


本来、給料の高低は何かに比例していた。


特殊な仕事内容、特殊な能力が必要な仕事、


熟練した技術を必要とする仕事といった、


れっきとした理由の元で、給与は高低している。


しかし、今回の賃金上昇依頼は、別の目的からだ。


仕事自体に全く根拠もなく、金額だけが上がるというのだ。


 


これは何を意味することになるだろうか?


 


賃金が理由なく上昇するということは、


つまり、


これまでと同じ仕事に対し給料だけが上がるということだ。


ここで、良く考えてほしい。


同じ労力に対し、高い代金が払われるということは、


この金銭の価値は、国内で円安を起こすことになる。


1円1円の価値が減ってしまい、


何かを得ようとするとき、


以前よりも大金を積まなければならないということだ。


これは、物の金額の上昇や下落についての議論とは


逆からの考察である。
しかし、冷静に考えた場合、
実は、私たちは自分たちの払うべきお金の価値や、
労働などから得るお金の価値を、
むやみやたらに、低めるということだ。

そもそも、賃上げは何のために行われるのか?
自分たちの手元にたくさんのお金を入れるのが目的だ。
しかし、たくさん手元にお金が入っても、
そのお金の価値は金額だけが増えたと見えるだけで、
実質のお金の価値は、以前と等価になってしまう。

もし賃金の金額上昇があっても、
手元に入る金銭の価値が上がらないのなら、
以前から手元に残っていた貯蓄などの価値は急落する。
しかも、それには特別な理由もないのにである。

多くのお金を支払わなければ、何かを得られない経済では、
国民の中には経済の動向についていけず取り残される人々が増え、
最終的には、日本経済全体に影響するほどの人数に影響が及び、
破綻が起きることだろう。

以前の記事で、
不景気と渋滞について考えた。
渋滞の発生条件と、不景気発生の条件とに共通点があった。
では、不景気解消と渋滞解消に、
共通策はあるだろうか。
……残念ながら、その答えはまだ出ていない。


話を変えて。
好景気の発生には、どのような条件があるだろうか。
いざなぎ景気は長く続いていた。
対して、バブル景気は短命だった。
この違いは、発生原因の違いではないだろうか。
(私は全くの素人だから、経済学の専門的な知識はない。
 素人の推測で話をしていることを了承願いたい。)

いざなぎ景気の発生要因は、団塊世代の存在だろう。
彼らと彼らの父母の普通の生活が、経済を回していたのだ。
対して、バブル景気の発生要因は不動産の高騰だった。
不動産の売買価格が頭打ちになった途端、好景気は終わった。

同じように、人口が爆発的に増えたなら、
確実に長く続く好景気が開始する可能性は高い。
でも。
もう一度、いざなぎ景気のような状態を起こしたいなら、
同じ発生要因を揃えればよいと想像するのは簡単だ。
しかし、団塊世代は、長い長い日本の歴史と、
不幸な戦争とが生んだのだろうし、
団塊世代を生みだそうと、
たとえば不幸な戦争をもう一度起こしたところで、
日本の土壌は変化をとげてしまっているから、
歴史のリピート演奏は不完全にしかできず、
彼らの再発生もありえないのだ。

今すぐ言えるのは、いざなぎ景気の条件再生は
悲しいかな不可と言うことだ。

ところで、バブル景気を例えると、高速道路上の交通状態。
いざなぎ景気は、一般道路ののろのろ運転だ。
ただし、渋滞しない状態の、である。
あの時ののろのろ運転、あれはあれで苦しかったはず。
もう一度あれをしたい人は本当はいないのではないか。

もう一つ、今すぐ言えることは、

いま賃上げをしたところで、
本当の意味で景気は回復しない。
理由は書かなくても察しがつくだろう。

恐らく間違いない。
表題はあくまで仮説ですが。


オリンピックや〇〇博というような大きなイベントが、
地域経済の発展のためになるからと、
好んで誘致されるということがある。

果たして、それは正しいのか?


そこで、仮説する。

「イベントが経済の発展への爆弾となるのでなく、
 逆に、地域経済を破壊するのでは?」

先に、強大なイベントが不景気を招くと仮説した。

これに多少、関連があることを仮説してみたい。

 

最近、自動車の渋滞を解消する方法について、

こんなことが言われているのをご存知だろうか。

「一定速度で走り、車間距離をできるだけ保つ車を、

渋滞の列に入れることで、渋滞が早く解消される。」

停車する車が増え、その列が長くなると、それが渋滞である。

各車の停車時間が長くなるほど、渋滞の列は長くなり、

停車時間が短くなれば、渋滞の列は短くなる。

そこで、車間距離を十分に残すように、ゆっくり走る車を加えた場合、

前の車が停車しても、この車はなかなか停車はしない。

つまり、この車は、速度は遅いが、短い時間しか停車しない。

そのため、この後に続く車の列の停車時間は必然的に短くなり、

それを継続するうち、渋滞は解消されるというのだ。

さて、これを消費行動や経済行動に置き換えられないだろうか。

不景気とは、いわば渋滞の状態ではないだろうか。

経済状況が火の車で、何もできないお手上げ状態は、

いわば、前へ進みたいが車間距離がないため動けない状態。

本来の渋滞なら、車間距離をとった定速車を加えれば解消された。

これを経済に置き換えて考える場合、

人件費や材料費などを支払いうる経済的な余剰力が

車間距離に当たるのではないだろうか。

そうすると、不景気解消には、

常に余剰力を保った経営運転をする存在が必要なのだろう。

その具体的なものをすぐに求めるのは難しいので、

あいにく、その答えは保留にする。

ただし逆に、不景気を起こしやすい状態は推測できる。

それは、多くの車が一斉に高速運転している状態である。

もし速度を落とさざる負えない状況が起きてしまったら、

そのとたん、甚大な渋滞が発生する。

不景気を回避したければ、一斉高速運転の状態を

つまり、極端な好景気状態を、
回避したほうがよいと、そこから推測できる。

ここで先に挙げていた話につながる。

その回避すべき「一斉高速運転」の状態とは、

例えば、全国一斉の地デジ化であり、オリンピック開催といった、

強大なイベント、つまり先に挙げた経済爆弾なのではないか。

好景気だとしても、私たちはそれを悠長に歓迎してはいられない。

次の手として、やってくる急落をどのように回避するか、

どのように乗り切るかを早くから考えるべきではないだろうか。

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